学校教育って、なんなんでしょうね?
こんにちは、東郷五十六です
ふと思い返すと、学校教育=社畜育成のための洗脳教育ではないかと考えています
様々な理不尽なことが多かったので、当時は疑問に思いながらも過ごしていたことでも現在では
学校でいい子と呼ばれる人間が社畜となり、私のような人間がはみ出し者となる
どうしてそう言えるのかをひとつづつ考えてみようかと
授業+宿題=長時間労働が当たり前の意識の刷り込み
学校の授業というのは大体8:40~15:00の大体7時間程度で、昼休憩をはさんだとしてもそれなりに長く拘束されます
大人でも長時間拘束されて授業を受けるのは苦痛に感じるはずだし、さらに宿題が上乗せされ、家でもやることを強制されます
これを仕事に置き換えると、
学校の授業(定時までの仕事)+宿題(持ち帰りを含む残業)
と言えるのでは?
ちなみに福岡県の某高校では『0時限目』という1時限目の前にある授業を実施しているそうですが、コレも早朝早出が存在することと置き換えればさらに危険なことと言えます
さらにいえば、子供は勉強が仕事という言葉を聞いたことがあるかとは思いますが、これに当てはめると、長時間労働が当たり前という洗脳と考えることができるのではないでしょうか?
教師の理不尽なイベント
私が高校生の時にあったことで、予習を忘れた人間を残して、予習をやった人間(私含む)だけを別室に隔離して授業したり、昼休み、放課後を潰して授業を行うということがありました
よく考えれば、仮にも教育のプロがそうゆう行動を取るということ自体が業務放棄に等しい上、間違っていたと声を上げれば逆ギレしてきて結局は教師のゴリ押しを許してしまいます
何かあれば『帰れ!』と怒る割に、実際に帰れば怒るというダブルバインドも経験はするかもしれません
幼少期にこんなこと受ければ、逃げ場がないことによるストレスで性格がゆがむのは必然的なんだなと
こんなことを押し付けられていると
理不尽=我慢するもの
という価値観が形成されてしまい、
- 逃げる
- 戦う
- 取り除く
という理不尽への対処方法が狭められ、結果的に理不尽を押し付ける側が有利という状況が一切変わらないんだなと
少数の人徳者を除いてはほとんどが学校という閉鎖的空間でしか上に立てないような、なんというか人間的に小物な存在が大多数を占めてたような気が…
同調圧力による叩き先がズレてることなんてまさにそれ
文化祭や合唱コンクールでの練習や出し物なんかの準備のとき、大抵放課後に強制的に集めてやらせることがあるかと思います
最初のうちは教師が強制的に集めて、参加しない人間を徹底的に叩くことが多いハズ
本来であれば誰一人として遊びを優先したいはずなのに、放課後や休日に練習などを命令した教師を叩くべきなのですが、なぜか叩かれるのは参加しない人間ばかり
まさにブラック企業を改善するために経営者と戦ったり、そこから逃げる人間を叩くという構図そのものです
同調圧力を強いて相互監視したところでストレスのもとにしかならないのにそうするということは、自分たちとは違う行動を取る人間を叩くことしかできないザコなんです
私の場合、スクールカーストがあるとすれば最下層に属してましたが、上位の連中に嫌われても一切気にしないので、文化祭でのクラスの出し物には一切参加せず、自分が当時所属してたクラブ活動や別の活動に真っ先に行ってました
教師も半ばこっちを腫れ物扱いしてたこともあってこういったことに対して干渉はほぼなかったので、同調圧力に屈せずに相手がだれであっても戦えるようになったのかもしれません
自分の得にならないことや 自分が嫌だと感じたことは徹底的にやらないという、ASD特有のこだわりが強い特性もこうゆう場面では救いになっているのかもしれません
終わりに 社畜養成施設に行ったところでなんの得がある?
そうゆうわけで、学校教育=社畜生産のメカニズムを私なりの解釈でお送りしました
結婚自体一切しない私ではありますが、万が一こどもができたとしたら、学校へ行くことを嫌がっている以上は行かせなくてもいいと考えています
こどもの頃の教育は結構大人になっても影響は残りますし、なによりそんな理不尽だらけの環境下でそれが普通で当たり前と洗脳された結果、電通や三菱電機の過労自殺という事態になったらたまったもんじゃない
なにより嫌々学ばされることよりも、自分で興味を持って学んだことがより深く自分の糧になるということが理解でき、こうしてブログを書くようになってますからね
今後の時代のことを考えれば、社畜養成施設でのクソの役にも立たないことより、自発的に興味をもったことを徹底的にやってみて、なにか一芸に特化しないと生きることも厳しい時代が明日からかもしれないということを感じています
私が子供に教えてあげられることといえば
- 最低限の読み書きや四則演算
- 法律に触れると危ないこと、命に関わる危険なこと
- お金を稼ぐ感覚のつかみ方
ぐらいしか考えつきませんね
インターネットが発達し、情報があふれている現代では無理に社畜生産施設へ行かせるよりもこどもの興味関心のあることを伸ばし、それでお金稼ぎをさせることが一番ではないかなと感じています
学校で理不尽に反抗することもできず、おかしいことに疑問を抱かせずに知らず知らずのうちに潰されるように洗脳されられるくらいなら、別で教育を施した方が成果を出しやすいんじゃないかな?